寝たきりのおじいさん | 幸福恐怖症を抱えた女の幸せ探し

寝たきりのおじいさん

 

 母方の祖父母は祖父が77歳、祖母が81歳

 祖母は有り余るほど元気だけど祖父はおいらが生まれたくらいから、いつ亡くなってもおかしくないと言われ続けてきた。

 生まれつき身体が弱く、戦争にも出ていない。

 兄弟はみな、7歳や3歳など子供の頃に病気で死んでしまっていて、ご両親も30代で。

 戦死ではない。

 それを思えば祖父は飛びぬけて長生きできてる。

 

 でもおいらの記憶の中で、元気な祖父は見たことがない。

 とても聡明な日本人離れしたような美しい人で、うちの家系の血のうちの美の部門は全て祖父からだと思うw

(そして虚弱体質の血も祖父から)

 だけど会話もまともにできず、歩くのも不自由。

 2年ほど前に、ついに完全に自分で動くことができなくなった

 

 近所の施設で(老人ホームではない)1年半前から寝たきりの生活を送っている。

 

 

 お盆休みに田舎へ行ったのはその祖父に3人で会いに行くのが目的だった。

 もちろんおいらは4年ぶり、母上と弟はゴールデンウイークと3月にも一度行っている。

 そのたびに、「お姉ちゃんは?」と弟に聞くらしく、行かなきゃな、って思ってた。

 自分が壊れるのが怖くて行けなかったなんて、冷たいようだけど、それでも駄目だった。

 やっとついた決心だった。

 

 祖父と対面、個室ではなく5人ほど一緒の集合部屋のベッドで祖父は横になっていた。

 叔父、祖母、母上、弟、おいらでぞろぞろ入っていくと祖父は驚いた様子できょろきょろ。

 弟が祖父に向かって、「お姉さんつれてきたよ」と言うと、祖父は必死で起き上がろうとして、まわりに手を借りて座り、おいらの顔を見て表情をくしゃくしゃにして泣いた。

 途端、おいらの目にも涙が溜まった、不思議なほど、ほんとに一瞬のことでこんなに涙が誘われてしまうのかと思った。

 

 しばらく叔父や母上や祖母が一方的に話してから、叔父が弟を指さして、「これ誰かわかる?」と問う。

 祖父は口を一生懸命動かして、その名を呼んだ。

 そのまま叔父はおいらを指差し、同じように聞く。

 祖父が呼んだその名はおいらの名ではなく、母上の名だった。

 全員、顔を見合わせ、慌ててみんながおいらの正しい名を連呼する。

 

 

 おじいちゃん、おいらのこと忘れてしまったのではなくて、おいらのイメージが子供の頃のままで留まっているせいで突然大人になってしまったおいらを見て、若い頃の母上にしか見えなくなってしまったのだ。

 

 おいらは別にいると思っているはず。

 

 

 おいらがこれなかったせいだ。

 たまたま母上がおいらくらいの歳の頃のヘアスタイルと、今のおいらのヘアスタイルが少し似ていることに気づいたのもこの時。

 細いことも、白いことも。

 ただ、顔のパーツは驚くほど1つも似ていなくて、顔だけ見ると他人かと思うほどなのに全体で見るとそっくりという……(笑

 聡明な祖父だけど、毎日寝たきりの生活の中で痴呆が進んでしまうのはどうしても避けられない。

 施設の人の話では、驚異的に良い方らしいのだけど。

 

 

 おいらだとわかってもらえなくても、母上だと思われていても、どっちでもよかった。

 とにかく祖父の手を握り、さすって、目を見て。

 それだけで祖父は顔をくしゃくしゃにして泣き続けた。

 不衛生だからか、誰も手を握ろうとしないのが不思議でならないんだけども、おいらは我慢できなかった。

 おいらたちが帰る時にはこちらを見ず、天井に向かって顔を両手で覆いながら泣いていた。

 

 

 何度も振り返ったけど、何もできなかった。

 祖父にもわかっていたのかもしれない、ほんとに聡明な人だ。

 

 

 母方の田舎へ行ったのに壊れ度があまり酷くなかったのはこのことも大きいかもしれない。

 多分こっちの衝撃の方が強かったから。

 母は来月の連休にも、お金の余裕があればもう一度行くと言っていた。

 3人分捻出する余裕はないけど、母上一人なら。